2016年 05月 03日
気仙沼(宮城県)日帰り |
2016年5月3日
GW後半初日ということで、宮城県気仙沼に行って来た。
まだご記憶の方も多いだろうが、ここ気仙沼はあの「3.11」(2011年3月11日の東北大震災)で大津波の被害を被った土地である。
決して物見遊山で訪れる土地ではないが、そうかといって私にボランティアができるとも思えず、せめて多少なりと土地の産物などを購入して、僅かではあるが土地のお役に立てられるならという気持ちでいた。また一方で、その被害の状況を目の当たりにすることができるなら、自分の記憶に留めることができるかも知れないと思ったりもしていた。
そんなこんなで、家を出たのは5月2日の夜10:00過ぎだった。約6時間の行程だが、途中で仮眠を取りながら行けば、現地には朝7:00から8:00頃着くだろうと計算した。
車中泊をするなら嫁様の「Pちゃん」では少々無理がある。ここは我が愛車「Cady」の登場とばかり、ラゲッジルームにマットレスと毛布を1セット積み込むと、出発したのだった。
東北道のPAで車中泊(と言っても仮眠程度だが)をするため、Cadyの後部座席の背もたれを倒すと、フルフラットなスペースを造り、そこにマットレスを敷いた。当初、嫁様と2人で寝るには少々窮屈かも知れないと思ったりもしたが、以外にも2人仰向けで寝ることができた。この出来事は正に喜ばしい驚きだった。
気仙沼の港町に着いたのは朝7:00を少し回った頃だった。
港に向かう途中の道も、何度となく地図とは違う仮設(?)と思われるような迂回路や規制に出会ったが、街に着いてから少し走っても、そこかしこに災害の傷跡が残されていた。
写真のように、あるビルの壁にはその高さまで津波が来たことを示すプレートが付けられていた。
別の場所には仮設の商店街のように思われるプレハブが建てられていた。
商店街の端に行くと、一面整地された大きな広場があった。一見、埋め立てなどで整地されたのかと思えるかなりの広さの土地だったが、土地の周りにはテープが張り巡らされ、どうも埋め立てなどではなかった。多分津波の被災地を整地したのであろう。
港の方に進むと、小高い丘の上にホテルのような建物が見えてきた。気仙沼プラザホテルだった。ホテルからは気仙沼の港が見下ろせた。この港にも、巨大津波が押し寄せたのだろうと考えると、チョットした恐怖感を感じてしまった。
ホテルで一休みをすると、気仙沼の街を後にすることにした。
R45で海岸線を南下していると、途中で海の方から霧が上がって来るのが見えた。興味が湧き、海岸線に近付くためにある公園を目指した。公園の駐車場にCadyを置くと目の前の海を撮った写真が左である。
ここにも津波の傷跡が、まだ痛々しく残されていた。
霧が上がって来る中での撮影のため、少々見え辛いのはご容赦願いたい。
公園から再びR45に戻り、先に進むと、南三陸町に入った。ここも大津波で多くの被害を被った所で、メディアでも何度となく取り上げられた所である。
町に入って間もなく、少し規模の大きい「市」が模様されていた。復興支援の催し物のようであった。これと言ってお手伝いできる訳ではなかったが、少しでも買い物をしようと寄ってみることにした。
この「市」でこんな展示・説明が行われていた。説明担当の方の話では、「この車はホンダが開発し、仙台市が協力している」とのことだったと思う。(少々あやふやで恐縮である。)
市販はトヨタが「ミライ」で先行した訳だが、ホンダもまだ市販こそしていないが、こういう形でやっているというアピールと思われた。
by kamechan_c93
| 2016-05-03 17:09
| 観光