石切劔箭(いしきりつるぎや)神社(大阪府) |
<石切劔箭神社>(いしきりつるぎやじんじゃ)大阪府東大阪市東石切町1-1-1
当社は大阪府の東、奈良県との県境に位置する生駒山の麓に近い所、東大阪市東石切にある。
当社のHPを見ると、その祭神は「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」とその子「可美真手命(うましまでのみこと)」となっている。
ここで話は「古事記」、「日本書紀」(以降「記紀」と記す。)の神代紀に触れることになるが、初代天皇である「神武天皇(じんむてんのう)」の東征(または「東遷」という。)時に地元勢力の代表として神武軍に抵抗した長髄彦(ながすねひこ)の妹「登美夜毘売(とみやひめ)」(日本書紀では「三炊屋媛(みかしきやひめ)」)と結婚したのが饒速日尊とされている。そしてこの饒速日尊が長髄彦を説き伏せて神武天皇に降伏させた。
記紀にはあまり詳しくは記されていないが、饒速日尊は天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて高天原(たかまがはら)から天の磐船(あまのいわふね)で降臨した神で、当社HPによれば、天照大神の孫で神武天皇の曽祖父となる「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の兄に当たるとしている。
神武の曽祖父の兄が神武に大和の地を明け渡すということになるのは、何とも世代的にしっくりこない。しかも、既に各方面から指摘されていることだが、アマテラスの命により降臨した饒速日がいる大和の地に、わざわざ神武が行き国を明け渡させているのは何ともおかしな話である。
同様のことは「神武東征(じんむとうせい)」以前に行われた出雲の「国譲り(くにゆずり)」でも言える。(ここでは詳細は省略する。)
何はともあれ、このように神武天皇が無事大和の地で天皇となることができた功労者「饒速日尊」を祀る当社は、全国でも数少ない神社といえる。
また、当社が建つ東大阪の地は、神武軍と長髄彦軍が激戦を繰り広げた縁の地でもある。
「饒速日尊」は古代豪族の一つ物部氏(もののべうじ)、穂積氏(ほづみうじ)、采女氏(うねめうじ)などの祖先とされている。
また、当社HPによれば、代々当社の祭祀を務めて来た木積氏(こづみうじ)は「穂積(ほづみ)氏」から転じたもののようである。
場所は近鉄けいはんな線「新石切(しんいしきり)」か、近鉄奈良線「石切(いしきり)」が最寄りの駅となる。