春の日野万願寺 |
東京の郊外、日野市の万願寺地区に出かけ、散策して来た。この地に出かけることになったのは、大した目的ではなく、嫁様のリクエスト「イチゴが欲しい」によるものである。
イチゴ園はR20の日野バイパスから少し中に入った、丁度カーディーラーの裏手に位置する所だった。イチゴ農園の駐車場を探していると、近隣にあると思われる「安養寺」の駐車場があったことから、同寺の拝観も兼ねて駐車をさせてもらうことにした。イチゴ園のイチゴは、何とか1パック購入することができたが、イチゴ狩りは「予約」が必要とのことで諦めることにした。イチゴ園の直ぐ目の前には「八幡大神社」があり、咲き始めの桜が色を添えていた。
この日は、前日から穏やかな天候に恵まれ、咲き始めた桜が更に加速するかのように花を開いていた。
「八幡大神社」を見て不思議な感じがしたことがあった。それは、敷地を囲む塀や柵が無いことである。全くの開放地に鳥居と社が置かれているような状況に、少々他の神社仏閣と違う”違和感”のようなものを持ったが、決して嫌な”違和感”ではなく、寧ろ当時を想像させるような開放感を感じさせるものだった。
「日野市観光協会」のHPによれば、暦応2年(1339)に地元の豪族「田村駄二郎知実」によって男山八幡宮(石清水八幡宮)を勧請し、社穀を建立したと言われていると紹介している。
そもそも「八幡宮(神社)」は源氏が武運長久のため崇めたもので、特に源平合戦に勝利した鎌倉以降、各地の豪族が挙って八幡宮を勧請したのではないかと思われる。そんな中、この「八幡大神社」も田村氏によって勧請されたのではないかと想像する。
尚、同じ境内には小さ目の祠2つが建てられていたが、祭神などは分からなかった。
八幡大神社の西側に行くとそこには「安養寺(田村山極楽院安養寺)」があり、比較的こじんまりとした境内ではあったが、綺麗に整備がなされ、寺の墓地の入り口にある桜の木も多くの花を付けていた。
「日野市観光協会」のHPによれば、八幡大神社同様、田村氏の開基によるものではないかとされ、田村氏の居館跡とも言われているとのことである。本堂の中は見ることができなかったが、本尊は「阿弥陀如来」とのことで、東京都の重宝に指定されているとのこと。また、日野七福神の一つとして毘沙門天も祀られている。
本堂正面の外側欄間の龍の木彫りは、その作者が分からなかったが、かなり見事な彫りのように見えた。素人目なのであてにはならないが、もしかすると名のある彫師か、その弟子の作かも知れないなどと思った次第である。
この地区(万願寺4)には、「まんがんじ児童館」や「万願寺交流センター」と言った公的施設を置く公園があり、此処の桜やユキヤナギが非常に良く咲いていた。特にユキヤナギは見事で、カメラや携帯での撮影をしている人も多く見られた。
直ぐ傍をR20の日野バイパスが通っているとは思えない長閑な雰囲気に、何か異次元にでも入ってしまったかのような錯覚さえ覚えた。
話は変わるが、この地区の地名「万願寺」と言うからには”寺”がある、或いはあったのだろうと誰しもが思うはずである。ところが、東京新聞Web版(2008年9月15日)の「<地名編>万願寺(日野市)」には、地名とは裏腹に”寺”は無く、遺跡なども見つかっていないとしている。更には江戸時代の文政11年(1828)に著された「新編武蔵風土記稿」に「万願寺の名前は古くからあるが所見なし」とするなど、当時から万願寺がなかったことに関心がもたれていることを記しているとしている。果たしてこの歴史ミステリーはどうなるのだろうか。