2010年 04月 07日
諏訪 御柱祭 |
2010年4月3日
天気の週間予報では、今回の週末(土日)天気はまずまずの天気だった。
次男の希望で土曜日(4/3)に長野県茅野市で行われる「御柱祭」を見に行くことになった。
「御柱祭」についての詳細はリンクをご参照戴きたいが、「御柱祭」とは「上社」のものと「下社」のものがあり、今回は「上社」のものを見に行くことになったのである。
久々の家族日帰りドライブである。本来なら、ドライブそのものも楽しむ計画を立てるのがいつもの私のパターンであるが、今回は大きな祭りであり、駐車場の確保を最優先しなければならないことから、現地(茅野市)まで中央道を使ってしまうこととなった。また帰りも疲労度を考慮し、中央道使用と決めていた。
そのような訳で、通常であれば今回の記録は私のHPの「Drive」に記す内容となるはずであったが、今回は「雑記」に記載することにした。
4月3日(土)
午前5:00に家を出発。一路中央道「八王子IC」に向かった。上述のように、今回は家族ドライブとなったため、出動は嫁様の「ピーちゃん」となった。
目的地は長野県茅野市。事前のインターネット検索で「御柱祭」を見たがどうも分かり辛い。色々HP内を探し、メインイベントはこの日4回行われる「木落し」のようだと判明したが、その会場が分からない。地図が有っても位置関係が非常に分かり辛いのである。
嫁様の指示もあり、とにかく茅野市役所を目指すことにした。
諏訪ICを下りて一路茅野市役所を目指し、何とか市役所の駐車場に「ピーちゃん」を置くことはできたが、既に駐車場は殆ど満杯の状態だった。
時間は午前7:30。息子の情報では「木落し」は午前10:00開始とのこと。少々時間があると思われたが、茅野の街を散策しながら会場に行けば丁度良いだろうとの気持ちでゆったりしていたのだった。
それでも8:00を過ぎた頃から行動を開始した。街をぶらつくにしても、目的の会場が分かっていなければ仕方が無い。丁度市役所の駐車場に来た半被姿の男性に「木落し」の会場の位置をパンフレットの地図で教えてもらったりして、散歩気分ながら会場に向かった。
市役所の駐車場を出て、南に向うと川が見えて来る。茅野の町を流れる川の1つ「上川」と言うらしい。この川の対岸に「茅野市運動公園」があり、グランドが開放されて臨時駐車場となっていた。また、公園の隣には図書館があり、ここの駐車場も開放されていると共に、トイレも開放されていた。
図書館の前の道を進むと上り坂になっている。この坂道から車両通行止めとなっていた。数10mの坂を上るといよいよ「御柱」の引かれる本道となる。
8:30少し前だったが、道には直径1m以上ある大木が横たわり、その大木に付けられた太い縄を「木落し」の場所まで引いてゆく人々が御柱や縄を挟んで両側に立ち、出発の号令を待っていた。
最初はその木が「木落し」に使われる1番目の木かと思ったのだが、よく見ると緩やかな下り坂の先に、更にもう1本の御柱を囲んで揃いの黄色い半被を着たかなりの数の集団が「木落し」の位置に構えていたのだった。
今回は「木落し」と言っても上社のもので、下社のそれとは趣が異なるようだ。
「上社」のそれは「メドてこ(大木に乗る乗り手)がいかにV字のまま落ちるかという「美しさ」が重視されている(百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))」ようである。
その大木が斜度27度を落ちる様を見ようと、皆「木落し」の近くに陣取るのだが、実は我々余所者ある“観光客”には、絶好の場所など与えられる訳も無く、一番の特等席は地元の氏子達で陣取られるのであった。
余談だが、特等席が全く無い訳ではない。しかし、それは有料でしかも抽選となっているようである。料金も諭吉さんプラスアルファと言う。それでも・・・という方はこの特等席を狙って見るのも一つかも知れない。
我々夫婦も位置的にはかなり近い場所に陣取ったのであるが、結局写真の通りの状況で大木が落ちて行くさまは旨く見ることはできなかった。
しかも、士気を高めるための気合は8:30頃から色々な形で入り始め、大木の向きを動かして斜面を下り易いように調整するのだが、結局本番は10:00と当初の予定通り。
正直、見ている方からすれば前置きが長過ぎるという状況になってしまった。加えて、こういう勇壮な祭りに付物の和太鼓による士気高揚などは無く、その代りにブラスバンドによる「甲子園の応援団」的演奏が入ったのには、私の個人的な感想だがかなりイメージが狂う思いがしたのだった。
今回「言い出しっぺ」の我が家の次男は、2本目の「木落し」も見てから引き上げることにしたが、我々夫婦は1本目が終了すると、早々に会場を引き上げることにした。
元来た道を辿って上川の所まで来ると、そこでは既に祭りの音は聞こえず、前日の雨で水量が増えた川の流れる音がよく聞こえた。あれほどの騒ぎの音が嘘のように聞こえない状況に、逆に驚いたりした。
市役所まで戻ると、私は“ピーちゃん”の中で暫しの休憩を取ることにした。嫁様は市役所の中を散策に出かけたが、やがて「テレビで木落しを中継している」と携帯電話をかけてきた。テレビの方が遥に「木落し」の様子が良く見えたとのことであった。
実際の会場の雰囲気を今し方見て来た所だっただけに、テレビの放映は迫力があったに違いない。
次男を待って、駐車場を後にしたのは、12:00頃だったと思う。
帰りの高速の渋滞を少しでも避けるために、できるだけ早く帰ろうと思っていた。しかし、次男がどうしても1ヶ所寄りたいところがあると言うので、諏訪ICに向う途中にある「神長官守矢史料館」(じんちょうかんもりやしりょうかん:諏訪大社の神官の長、守矢家の史料館)に立ち寄った。
次男(高3)が何故このような所、もっといえば諏訪大社や神道に興味を持ったのか不思議だが、どうやら今現在は彼の“マイブーム”らしい。
中央道を東京に戻る途中に「釈迦堂PA」がある。
「釈迦堂PA」と言えば「桃源郷」である。嫁様の「桃源郷を見たい」というリクエストで、同PAに立ち寄ることになった。
高速道のPAは通常上りと下りに対で造られているが、上りも下りも同じような施設構成、ロケーションとは限らない。
「釈迦堂PA」もその1つでロケーションが異なるのである。私は断然下りの「釈迦堂PA」が好きだと思ったが、嫁様も同意見であった。「一宮御坂の桃源郷」が一望に見渡すことができるのは、下りPAなのである。
今回はまだ桃の花のシーズンではないので、左程では無かった訳だがそれでも桃源郷の片鱗は感じることができた。
桃源郷を暫し散策すると「釈迦堂PA」を出発し、通常は小仏トンネルの渋滞を避けるため色々なルートを考えるのだが、今回は全く渋滞と遭遇することなく八王子ICまで帰ることができた。
自宅には16:00頃到着したのだった。
天気の週間予報では、今回の週末(土日)天気はまずまずの天気だった。
次男の希望で土曜日(4/3)に長野県茅野市で行われる「御柱祭」を見に行くことになった。
「御柱祭」についての詳細はリンクをご参照戴きたいが、「御柱祭」とは「上社」のものと「下社」のものがあり、今回は「上社」のものを見に行くことになったのである。
久々の家族日帰りドライブである。本来なら、ドライブそのものも楽しむ計画を立てるのがいつもの私のパターンであるが、今回は大きな祭りであり、駐車場の確保を最優先しなければならないことから、現地(茅野市)まで中央道を使ってしまうこととなった。また帰りも疲労度を考慮し、中央道使用と決めていた。
そのような訳で、通常であれば今回の記録は私のHPの「Drive」に記す内容となるはずであったが、今回は「雑記」に記載することにした。
4月3日(土)
午前5:00に家を出発。一路中央道「八王子IC」に向かった。上述のように、今回は家族ドライブとなったため、出動は嫁様の「ピーちゃん」となった。
目的地は長野県茅野市。事前のインターネット検索で「御柱祭」を見たがどうも分かり辛い。色々HP内を探し、メインイベントはこの日4回行われる「木落し」のようだと判明したが、その会場が分からない。地図が有っても位置関係が非常に分かり辛いのである。
嫁様の指示もあり、とにかく茅野市役所を目指すことにした。
諏訪ICを下りて一路茅野市役所を目指し、何とか市役所の駐車場に「ピーちゃん」を置くことはできたが、既に駐車場は殆ど満杯の状態だった。
時間は午前7:30。息子の情報では「木落し」は午前10:00開始とのこと。少々時間があると思われたが、茅野の街を散策しながら会場に行けば丁度良いだろうとの気持ちでゆったりしていたのだった。
それでも8:00を過ぎた頃から行動を開始した。街をぶらつくにしても、目的の会場が分かっていなければ仕方が無い。丁度市役所の駐車場に来た半被姿の男性に「木落し」の会場の位置をパンフレットの地図で教えてもらったりして、散歩気分ながら会場に向かった。
市役所の駐車場を出て、南に向うと川が見えて来る。茅野の町を流れる川の1つ「上川」と言うらしい。この川の対岸に「茅野市運動公園」があり、グランドが開放されて臨時駐車場となっていた。また、公園の隣には図書館があり、ここの駐車場も開放されていると共に、トイレも開放されていた。
図書館の前の道を進むと上り坂になっている。この坂道から車両通行止めとなっていた。数10mの坂を上るといよいよ「御柱」の引かれる本道となる。
8:30少し前だったが、道には直径1m以上ある大木が横たわり、その大木に付けられた太い縄を「木落し」の場所まで引いてゆく人々が御柱や縄を挟んで両側に立ち、出発の号令を待っていた。
最初はその木が「木落し」に使われる1番目の木かと思ったのだが、よく見ると緩やかな下り坂の先に、更にもう1本の御柱を囲んで揃いの黄色い半被を着たかなりの数の集団が「木落し」の位置に構えていたのだった。
今回は「木落し」と言っても上社のもので、下社のそれとは趣が異なるようだ。
「上社」のそれは「メドてこ(大木に乗る乗り手)がいかにV字のまま落ちるかという「美しさ」が重視されている(百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))」ようである。
その大木が斜度27度を落ちる様を見ようと、皆「木落し」の近くに陣取るのだが、実は我々余所者ある“観光客”には、絶好の場所など与えられる訳も無く、一番の特等席は地元の氏子達で陣取られるのであった。
余談だが、特等席が全く無い訳ではない。しかし、それは有料でしかも抽選となっているようである。料金も諭吉さんプラスアルファと言う。それでも・・・という方はこの特等席を狙って見るのも一つかも知れない。
我々夫婦も位置的にはかなり近い場所に陣取ったのであるが、結局写真の通りの状況で大木が落ちて行くさまは旨く見ることはできなかった。
しかも、士気を高めるための気合は8:30頃から色々な形で入り始め、大木の向きを動かして斜面を下り易いように調整するのだが、結局本番は10:00と当初の予定通り。
正直、見ている方からすれば前置きが長過ぎるという状況になってしまった。加えて、こういう勇壮な祭りに付物の和太鼓による士気高揚などは無く、その代りにブラスバンドによる「甲子園の応援団」的演奏が入ったのには、私の個人的な感想だがかなりイメージが狂う思いがしたのだった。
今回「言い出しっぺ」の我が家の次男は、2本目の「木落し」も見てから引き上げることにしたが、我々夫婦は1本目が終了すると、早々に会場を引き上げることにした。
元来た道を辿って上川の所まで来ると、そこでは既に祭りの音は聞こえず、前日の雨で水量が増えた川の流れる音がよく聞こえた。あれほどの騒ぎの音が嘘のように聞こえない状況に、逆に驚いたりした。
市役所まで戻ると、私は“ピーちゃん”の中で暫しの休憩を取ることにした。嫁様は市役所の中を散策に出かけたが、やがて「テレビで木落しを中継している」と携帯電話をかけてきた。テレビの方が遥に「木落し」の様子が良く見えたとのことであった。
実際の会場の雰囲気を今し方見て来た所だっただけに、テレビの放映は迫力があったに違いない。
次男を待って、駐車場を後にしたのは、12:00頃だったと思う。
帰りの高速の渋滞を少しでも避けるために、できるだけ早く帰ろうと思っていた。しかし、次男がどうしても1ヶ所寄りたいところがあると言うので、諏訪ICに向う途中にある「神長官守矢史料館」(じんちょうかんもりやしりょうかん:諏訪大社の神官の長、守矢家の史料館)に立ち寄った。
次男(高3)が何故このような所、もっといえば諏訪大社や神道に興味を持ったのか不思議だが、どうやら今現在は彼の“マイブーム”らしい。
中央道を東京に戻る途中に「釈迦堂PA」がある。
「釈迦堂PA」と言えば「桃源郷」である。嫁様の「桃源郷を見たい」というリクエストで、同PAに立ち寄ることになった。
高速道のPAは通常上りと下りに対で造られているが、上りも下りも同じような施設構成、ロケーションとは限らない。
「釈迦堂PA」もその1つでロケーションが異なるのである。私は断然下りの「釈迦堂PA」が好きだと思ったが、嫁様も同意見であった。「一宮御坂の桃源郷」が一望に見渡すことができるのは、下りPAなのである。
今回はまだ桃の花のシーズンではないので、左程では無かった訳だがそれでも桃源郷の片鱗は感じることができた。
桃源郷を暫し散策すると「釈迦堂PA」を出発し、通常は小仏トンネルの渋滞を避けるため色々なルートを考えるのだが、今回は全く渋滞と遭遇することなく八王子ICまで帰ることができた。
自宅には16:00頃到着したのだった。
by kamechan_c93
| 2010-04-07 17:15
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