秩父神社、山梨県立博物館 |
ゴールデンウィークが終わり、1週間間を置いたこの日、大学の恩師である、当時所属の研究室の教授(既に退官され、現在は悠々自適のご生活を送られている。)を囲む研究室OB会が、山梨県の石和温泉で行われることになっていた。
例によって、ドライブを兼ねて石和まで行くことにした私は、久しぶりに埼玉県の秩父から「彩甲斐街道(R140)」を山梨県に向かうことにした。
秩父の中心地ともいえる「秩父神社」は、飯能市方面からR299を来ると、秩父鉄道の踏切を越えて直ぐの交差点の角にある。交差点名もそのものずばり「秩父神社前」である。
神社の駐車場に愛車を置くと、早速神社境内に向かった。
当「秩父神社」は,武蔵国四宮として崇神天皇(記紀による第10代天皇)の時代に「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」を祀ったことに始まるとされ,二千有余年の歴史を持つとされている。
祭神は「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」を始め、「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)」、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、「秩父宮雍仁親王(昭和天皇の弟)」が祀られている。
また、境内には「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を始め「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」、「須佐乃男神(素戔嗚尊;すさのおのみこと)」など、記紀の神話では有名な神々が勢揃いしている。
主祭神の1柱「天之御中主神」は宇宙の根源の神であり、宇宙そのものであるとされているが、この神を主祭神の1柱とする神社は全国に多くは無い様である。その、あまりメジャーではない神様を拝もうと思い立ったのも今回の秩父神社訪問の動機の一つであったが、本来の神道では仏教のような偶像を崇拝する思想はなく、仏教伝来によって主だった神々が偶像化されたのではないだろうか、「これが天之御中主神です」という風に祀られている訳ではなく、実際の所どれがどの神様かよく分からないまま拝んで来る結果となった。
秩父神社を後にすると、彩甲斐街道(R140)を甲府に向かった。
甲府では「山梨県立博物館」に初訪問した。特にこれが見たいという意図があった訳ではないが、しいて言えば最近少々ハマっている古代から中世の歴史に関する展示が見たかったのである。
当博物館は、東京上野の国立博物館をイメージしたのか、かなり近代的な鉄筋とガラス張りの立派な建物だった。中に入ると、受付で案内の人が展示室入り口まで付き添ってくれた。(誘導をお願いした訳ではない。)そして、展示室入口に作られた山梨県の立体模型の説明をしながら、もう直ぐ建設が始まる「リニア新幹線(中央新幹線)」の経路なども教えてくれた。予定路の大半がトンネルといわれる「リニア新幹線」だが、実際に3Dの模型で見てもルートの殆どが山を貫くトンネルであることが分かる。2017年には東京-名古屋が先行開業するとのことだが、このトンネル工事は素人目にも難航を思わせる。果たして予定通り行くのであろうか。
更に中に入っていくと、数点の縄文土器が展示されていた。昔学校で教わったのは、縄文(式)土器は模様を縄目で付けたので「縄文」といい、弥生(式)土器は模様を手で書くようになった。。。なんて話だったと思うのだが、最近の古代を扱った本などを見ると、縄文土器と弥生土器では縄文土器の方が遥に「美的センスが良い」と書いているものが目に付く。逆に弥生土器は普段の生活用に、「実用性を重視しているものが多い」という。そんな目で展示されている縄文土器を見ると、確かに美的センスがあるように思えるのも不思議だった。
展示室の展示物の大半は、やはり「甲斐(かい)の武田」に関するものが多くを占めていた。甲斐国(山梨県)が生んだ英雄「武田信玄」は、永遠に郷土の英雄なのだろう。
私は群雄割拠の戦国時代に興味がある訳ではないが、それでも甲州源氏の直系である武田家の家系には興味があった。展示物の中に武田家の系図があり、前九年・後三年の役で活躍した源氏の英雄「源(八幡太郎)義家」の弟「源(新羅三郎)義光」が始祖となっていた。これを見る限り、由緒正しき源氏の流れであることが分かる。
その他、甲斐の歴史は水との戦い(治水)の歴史であることが良く分かる展示構成になっていた。考えてみると、日本という国全体が水と戦っていた(いる?)訳で、何もこの地だけの話ではないだろう。「坂東太郎」の異名を持つ利根川も暴れ者で有名だった。ただ、この地はこの地の苦労があり、それを広く知ってもらいたいがためのディスプレイだったのだろう。
県立博物館を出ると、いよいよこの日の目的地「石和温泉」へと向かった。