2013年 04月 17日
桜の上野 |
2013年3月23日
嫁様の愛車「Pちゃん(2003年型PTクルーザー)」が9年目の車検のため、ドック入りしているため、代車となった現行型「トヨタ カローラアクシオ」を駆って、早朝の上野公園に桜を見に出かけた。
久しぶりの上野は、私には初めて訪れた場所のようだった。公園の地下に作られたパーキングに「アクシオ」を置くと、早速公園に。
「五條天神社」の脇の坂道を登ると、丁度公園の中程に出る。
正に目の前は満開の桜並木で、その下には地面が見えないほどのブルーシートが並木の通路を挟んで両側にびっしりと敷かれ、各シートの上には1人、2人と番の人々が、思い思いの格好で、花見の宴が始まるのを待っていた。噴水脇の広場では、丁度「ラジオ体操」が始められていて、花見の場所取りに来た人々もかなり参加していたのではないだろうか?相当数の体操参加者が広場を埋め尽くしていた。
ラジオ体操の広場を通り過ぎて行くと、
正面には「東京国立博物館」が鎮座していた。当然ながら博物館は未だ開館していなかったが、入り口には現在実施中の特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―(2013年1月12日(土)-2013年4月7日(日))」と「国宝 大神社展(2013年4月9日(火)-2013年6月2日(日))」のたて看板が置かれていた。
博物館前の道の先では、ゴミ収集車が空き缶の入った巨大な袋を4-5個回収しようとしていたが、どう見ても全部を車に乗せ切れる量とは思えないほど沢山の空き缶だった。前日に回収されたものなのか、それとも数日分の回収のものなのか、詳細は分からないが、この時期花見で出されるゴミの量は半端ではないだろうと思われた。
博物館から道沿いに南東方向へ向うと直ぐに「国立科学博物館」があり、その隣には「国立西洋美術館」がある。
各館の前を通り過ぎて更に進むと、小山がある。ご存知の方も多いだろうが「摺鉢山古墳」である。恥ずかしながら、此処が古墳だったと言うことを知ったのは今回が初めてだった。前方後円墳で、埴輪や弥生式土器が発見されているものの、年代などの特定はできていないらしい。古墳を登って、頂上の小さな広場を抜け、また直ぐに古墳を下る時、ふと「此処は子供の頃に来たことがある」と思い出した。ただそれだけのことだが、不思議に懐かしい思いがした。
更に進むと、清水観音堂がある。ここには裏から入る形になってしまったが、立ち寄ることにした。
渡り廊下のような所を潜ると、左側に清水寺の舞台を縮小したような舞台状の場所が目に入って来る。正に「清水観音堂」である。HPによれば、寛永8年(1631年)上野 寛永寺に造られたそうで、千手観音像を祀っているとのこと。何故か神社と間違える人が多いのだろうか、「清水観音堂は、お寺です。お参りは合掌をしてお祈りします」とHPにも、堂の前にも書かれている。
寛永寺の開祖である「慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだいそうじょう)」は京都御所の鬼門に比叡山があるのに倣い、寛永寺を江戸城の鬼門に造り、清水寺と同じ「清水観音堂」を造ったそうである。本家清水寺の舞台よりは規模が小さいが、不忍池にある「不忍池弁天堂」まで見渡せば、かなりの高さになる感じだった。
清水堂を更に南に進むと、上野のシンボル「西郷隆盛像」がある。この西郷さん、本人に似ているかいないかの議論から、像の浴衣姿、連れている犬に関する話まで、諸説紛々という所だが、何れにしてもシンボルであることには違いないだろう。同じ敷地内には、幕末に官軍と戦って玉砕した「彰義隊」の碑がおかれている。上野のお山は、激戦の地でもあったのである。
早朝の上野公園を簡単に一回りしただけだが、懐かしさと共に新たな発見もあり、有意義な一時を過ごすことができた。
嫁様の愛車「Pちゃん(2003年型PTクルーザー)」が9年目の車検のため、ドック入りしているため、代車となった現行型「トヨタ カローラアクシオ」を駆って、早朝の上野公園に桜を見に出かけた。
久しぶりの上野は、私には初めて訪れた場所のようだった。公園の地下に作られたパーキングに「アクシオ」を置くと、早速公園に。
「五條天神社」の脇の坂道を登ると、丁度公園の中程に出る。
正に目の前は満開の桜並木で、その下には地面が見えないほどのブルーシートが並木の通路を挟んで両側にびっしりと敷かれ、各シートの上には1人、2人と番の人々が、思い思いの格好で、花見の宴が始まるのを待っていた。噴水脇の広場では、丁度「ラジオ体操」が始められていて、花見の場所取りに来た人々もかなり参加していたのではないだろうか?相当数の体操参加者が広場を埋め尽くしていた。
ラジオ体操の広場を通り過ぎて行くと、
正面には「東京国立博物館」が鎮座していた。当然ながら博物館は未だ開館していなかったが、入り口には現在実施中の特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―(2013年1月12日(土)-2013年4月7日(日))」と「国宝 大神社展(2013年4月9日(火)-2013年6月2日(日))」のたて看板が置かれていた。
博物館前の道の先では、ゴミ収集車が空き缶の入った巨大な袋を4-5個回収しようとしていたが、どう見ても全部を車に乗せ切れる量とは思えないほど沢山の空き缶だった。前日に回収されたものなのか、それとも数日分の回収のものなのか、詳細は分からないが、この時期花見で出されるゴミの量は半端ではないだろうと思われた。
博物館から道沿いに南東方向へ向うと直ぐに「国立科学博物館」があり、その隣には「国立西洋美術館」がある。
各館の前を通り過ぎて更に進むと、小山がある。ご存知の方も多いだろうが「摺鉢山古墳」である。恥ずかしながら、此処が古墳だったと言うことを知ったのは今回が初めてだった。前方後円墳で、埴輪や弥生式土器が発見されているものの、年代などの特定はできていないらしい。古墳を登って、頂上の小さな広場を抜け、また直ぐに古墳を下る時、ふと「此処は子供の頃に来たことがある」と思い出した。ただそれだけのことだが、不思議に懐かしい思いがした。
更に進むと、清水観音堂がある。ここには裏から入る形になってしまったが、立ち寄ることにした。
渡り廊下のような所を潜ると、左側に清水寺の舞台を縮小したような舞台状の場所が目に入って来る。正に「清水観音堂」である。HPによれば、寛永8年(1631年)上野 寛永寺に造られたそうで、千手観音像を祀っているとのこと。何故か神社と間違える人が多いのだろうか、「清水観音堂は、お寺です。お参りは合掌をしてお祈りします」とHPにも、堂の前にも書かれている。
寛永寺の開祖である「慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだいそうじょう)」は京都御所の鬼門に比叡山があるのに倣い、寛永寺を江戸城の鬼門に造り、清水寺と同じ「清水観音堂」を造ったそうである。本家清水寺の舞台よりは規模が小さいが、不忍池にある「不忍池弁天堂」まで見渡せば、かなりの高さになる感じだった。
清水堂を更に南に進むと、上野のシンボル「西郷隆盛像」がある。この西郷さん、本人に似ているかいないかの議論から、像の浴衣姿、連れている犬に関する話まで、諸説紛々という所だが、何れにしてもシンボルであることには違いないだろう。同じ敷地内には、幕末に官軍と戦って玉砕した「彰義隊」の碑がおかれている。上野のお山は、激戦の地でもあったのである。
早朝の上野公園を簡単に一回りしただけだが、懐かしさと共に新たな発見もあり、有意義な一時を過ごすことができた。
by kamechan_c93
| 2013-04-17 20:30
| 観光