2010年 01月 20日
京都観光 |
2009年12月12日
今回、長男が下宿を引っ越したこともあり、下宿襲撃を兼ねて久々の京都観光と正月用食料買出しに京都に行った。
日程は12月11~12日の1泊2日。11日(金)は有給を取っての移動だった。
今回は、当初SAABでの移動を考えていたが、金曜の天気が全国的に「雨」の予報だったためSAABの出動は見送ることにした。
「Pちゃん(PTクルーザー)」が雨に特別強いという訳ではないが、我が家では一番安心感のあるタイヤ(Michelin PrimacyHP)を履いていること、息子の下宿では露天駐車しかなく、露天駐車してもソフトトップよりは悪戯され難いことなどの理由からの選択だった。
東京の我が家を出たのは11日の朝4:30頃だった。平日の高速利用のため、1,000円という訳には行かなかったが、せめて深夜割引の50%引きにはしたいとの思いから早朝出発を計画したのだが、ふと目を覚ますと既に3:30を回っていた。どんなに急いでも起床してから30分での出発は不可能なため、拡大深夜割引の30%引きには該当したいと頑張った成果だった。
夫婦交替の運転で行くことにしていたが、パーキングで夫婦一緒に睡眠することもしばしばあり、結局京都の息子の下宿には、11日の昼頃到着したのだった。
11日は主に食料費や息子の衣類などの買出しで終了し、翌12日に早朝から京都観光となった。
12日(土)は前日と打って変わって絶好の観光日和・・・と行く予定だったのだが、何故かこの日も天気はもう一つの「曇天」だった。しかし「雨」でないだけましとばかり、息子の下宿を出発した。
最初に向ったのは「南禅寺」だった。嫁様の「南禅寺の水路閣が見たい」という希望で、南禅寺に決定したのである。
南禅寺も、京都に多く見られる他の仏閣同様、幾つもの仏閣が集合している形を取っており、法堂の裏手や両脇に多数の寺院が存在している。
私にとって「南禅寺」とは、「水路閣」もさることながらあの大きな柱が幾本も立つ「三門」(以前、何かのCFで使われた)がイメージに大きく、また参道に並ぶ湯豆腐の店も同時にインプットされており、「南禅寺」=「三門」&「湯豆腐」というのが私のイメージとなっている。
水路閣を流れる水は、南禅寺の裏手を通り私学の中・高校の間を通る水路に流れ出している。南禅寺を出て、永観堂に向う途中の坂道を水路に沿って登ると、奥に水路閣から流れ出した水の出口を見ることができる。
この水路、特にどうという所ではないのだが、何故か気持ちが落ち着く場所で、嫁様もお気に入りの場所である。この日は前日の雨もあり、水量はいつもより増加していたが、雨の後の河川のように、泥交じりの濁った水ではなかった。
南禅寺の次に向ったのは大原だった。
以前より愛用していた大原の「朝市」が、場所を替えたのとプラスで「里の駅大原」と称して平日でも営業するようになったとの嫁様情報により、リニューアルの場所を目指したのだ。
従来の朝市の場所から僅かに移動した所に「里の駅大原」はあった。
当初、嫁様情報では「朝市」が「里の駅」に完全移行したように聞いていたのだが、よくよく「里の駅」の看板を見ていると、毎週日曜日には「朝市」もこの場所で行われているようであった。
取り合えず京野菜を中心に買い込み、「里の駅大原」を後にした。
大原から京都市街へ戻る途中で、「手作りドレッシング」を売りにしているとある店に立ち寄った。
ドレッシングが目的の立ち寄りではなく、目的は京都の「丸餅」を購入することだった。元々は大原の朝市でこの店が出していた餅を購入してお気に入りとなり、朝市に行くといつも購入するようになったのだが、朝市が移動してこの店の餅が入手できなくなったことから(朝市への出店を止めたのか否かは定かではない。)、店舗自体に行くことにしたのである。
正月用の餅を手に入れると、また京都の街中を目指した。
次に立ち寄ったのは「東福寺」だった。
臨済宗大本山「東福寺」の詳細は同寺のHPに譲るが、如何にも京都の寺院を感じる所であった。
嫁様の話では「秋の紅葉シーズンが最高に美しい」のだそうである。その意味からいえば、今回の東福寺はシーズンオフとなるが、それはそれでまた別の味わいがある。
国宝の三門、重文の偃月橋など歴史的に貴重な建造物を始め、枯山水の庭など多くの見所があるのは周知の事実で、今更私がここで取上げるべくもないことであるが、やはり国宝や重文などに指定を受けるにはそれなりの理由があることを改めて実感した次第である。
京都の寺院は、日本でも有数の観光地でもあることから、1年を通じていつでも観光客の途絶える時がない。
正直、私は人出の多い観光地には辟易としているだけに、京都の有名な寺院もあまり好みとはいえないのだが、それでも時間、シーズンを上手く選択すれば、京都らしからぬ閑散とした観光地を見ることができるのである。
今回の「南禅寺」「東福寺」も観光客がいることはいたが、それほどのものではなかった。そんなことが幸いしてか、本来の寺院の趣深いものの片鱗位は鑑賞することができたと思っている。
こうやって京都観光を記して見て、今初めて気が付いたのだが、「南禅寺」も「東福寺」も実は臨済宗だった。全くそんなことは考えずの選択だったのだが、この日の志向が「臨済宗」だったのかも知れない。というか、臨済宗的感覚志向だったのかも。。。などと大それた理由付けは止めておいた方が無難だろう。
かくして、今回の京都観光は終了したのであった。
今回、長男が下宿を引っ越したこともあり、下宿襲撃を兼ねて久々の京都観光と正月用食料買出しに京都に行った。
日程は12月11~12日の1泊2日。11日(金)は有給を取っての移動だった。
今回は、当初SAABでの移動を考えていたが、金曜の天気が全国的に「雨」の予報だったためSAABの出動は見送ることにした。
「Pちゃん(PTクルーザー)」が雨に特別強いという訳ではないが、我が家では一番安心感のあるタイヤ(Michelin PrimacyHP)を履いていること、息子の下宿では露天駐車しかなく、露天駐車してもソフトトップよりは悪戯され難いことなどの理由からの選択だった。
東京の我が家を出たのは11日の朝4:30頃だった。平日の高速利用のため、1,000円という訳には行かなかったが、せめて深夜割引の50%引きにはしたいとの思いから早朝出発を計画したのだが、ふと目を覚ますと既に3:30を回っていた。どんなに急いでも起床してから30分での出発は不可能なため、拡大深夜割引の30%引きには該当したいと頑張った成果だった。
夫婦交替の運転で行くことにしていたが、パーキングで夫婦一緒に睡眠することもしばしばあり、結局京都の息子の下宿には、11日の昼頃到着したのだった。
11日は主に食料費や息子の衣類などの買出しで終了し、翌12日に早朝から京都観光となった。
12日(土)は前日と打って変わって絶好の観光日和・・・と行く予定だったのだが、何故かこの日も天気はもう一つの「曇天」だった。しかし「雨」でないだけましとばかり、息子の下宿を出発した。
最初に向ったのは「南禅寺」だった。嫁様の「南禅寺の水路閣が見たい」という希望で、南禅寺に決定したのである。
南禅寺も、京都に多く見られる他の仏閣同様、幾つもの仏閣が集合している形を取っており、法堂の裏手や両脇に多数の寺院が存在している。
私にとって「南禅寺」とは、「水路閣」もさることながらあの大きな柱が幾本も立つ「三門」(以前、何かのCFで使われた)がイメージに大きく、また参道に並ぶ湯豆腐の店も同時にインプットされており、「南禅寺」=「三門」&「湯豆腐」というのが私のイメージとなっている。
水路閣を流れる水は、南禅寺の裏手を通り私学の中・高校の間を通る水路に流れ出している。南禅寺を出て、永観堂に向う途中の坂道を水路に沿って登ると、奥に水路閣から流れ出した水の出口を見ることができる。
この水路、特にどうという所ではないのだが、何故か気持ちが落ち着く場所で、嫁様もお気に入りの場所である。この日は前日の雨もあり、水量はいつもより増加していたが、雨の後の河川のように、泥交じりの濁った水ではなかった。
南禅寺の次に向ったのは大原だった。
以前より愛用していた大原の「朝市」が、場所を替えたのとプラスで「里の駅大原」と称して平日でも営業するようになったとの嫁様情報により、リニューアルの場所を目指したのだ。
従来の朝市の場所から僅かに移動した所に「里の駅大原」はあった。
当初、嫁様情報では「朝市」が「里の駅」に完全移行したように聞いていたのだが、よくよく「里の駅」の看板を見ていると、毎週日曜日には「朝市」もこの場所で行われているようであった。
取り合えず京野菜を中心に買い込み、「里の駅大原」を後にした。
大原から京都市街へ戻る途中で、「手作りドレッシング」を売りにしているとある店に立ち寄った。
ドレッシングが目的の立ち寄りではなく、目的は京都の「丸餅」を購入することだった。元々は大原の朝市でこの店が出していた餅を購入してお気に入りとなり、朝市に行くといつも購入するようになったのだが、朝市が移動してこの店の餅が入手できなくなったことから(朝市への出店を止めたのか否かは定かではない。)、店舗自体に行くことにしたのである。
正月用の餅を手に入れると、また京都の街中を目指した。
次に立ち寄ったのは「東福寺」だった。
臨済宗大本山「東福寺」の詳細は同寺のHPに譲るが、如何にも京都の寺院を感じる所であった。
嫁様の話では「秋の紅葉シーズンが最高に美しい」のだそうである。その意味からいえば、今回の東福寺はシーズンオフとなるが、それはそれでまた別の味わいがある。
国宝の三門、重文の偃月橋など歴史的に貴重な建造物を始め、枯山水の庭など多くの見所があるのは周知の事実で、今更私がここで取上げるべくもないことであるが、やはり国宝や重文などに指定を受けるにはそれなりの理由があることを改めて実感した次第である。
京都の寺院は、日本でも有数の観光地でもあることから、1年を通じていつでも観光客の途絶える時がない。
正直、私は人出の多い観光地には辟易としているだけに、京都の有名な寺院もあまり好みとはいえないのだが、それでも時間、シーズンを上手く選択すれば、京都らしからぬ閑散とした観光地を見ることができるのである。
今回の「南禅寺」「東福寺」も観光客がいることはいたが、それほどのものではなかった。そんなことが幸いしてか、本来の寺院の趣深いものの片鱗位は鑑賞することができたと思っている。
こうやって京都観光を記して見て、今初めて気が付いたのだが、「南禅寺」も「東福寺」も実は臨済宗だった。全くそんなことは考えずの選択だったのだが、この日の志向が「臨済宗」だったのかも知れない。というか、臨済宗的感覚志向だったのかも。。。などと大それた理由付けは止めておいた方が無難だろう。
かくして、今回の京都観光は終了したのであった。
by kamechan_c93
| 2010-01-20 05:14
| 神社・仏閣