大阪 淀屋橋・北浜地域の歴史探訪 |
大阪には平成3年(1991年)秋から14年弱の間在住していたことがある。その間、会社の事務所があった淀屋橋・北浜地区は何かと歩いたはずであるが、振り返って考えてみると、知っているようで実は知らない歴史遺産の街であることに気が付いた。
今回、仕事の関係でこの街を探訪する時間ができたため、以前より考えていた歴史探訪を行なう・・・とはチョット格好良過ぎで、要は観光程度に歩き回って見た。
緒方洪庵と 適塾
銅座跡(現 大阪市立愛珠幼稚園)
中之島公園(府立中之島図書館、中央公会堂)
花外楼(かがいろう)
大阪証券取引所(大証)
市営地下鉄北浜駅
コニシ株式会社(大阪市道修町;重要文化財)
堺筋(北浜付近)
御堂筋(淀屋橋付近)
僅か3時間ほどの探訪であったが、結構数多く見て回ることができたと思う。
振り返って、私が大阪在住の当時、休日にこの界隈を訪れることは滅多になかった。従って休日のこの界隈の状態を知る由もなかったのだが、今回、結構観光客(多くは「オジサマ」「オバサマ」族)が多いことに驚かされた。また、この限られた地域に歴史が凝縮されているという事実も、認識を新たにさせられた次第である。
考えてみれば、太閤秀吉(豊臣秀吉)の時代から歴史の表舞台に登場している地区、それもそのほぼ中心部となるこの地であれば、歴史の宝庫となっても不思議はないのかも知れない。
余談だが、聞いた話ではこの地域で新しいビル工事をする際には必ずその土地の“試し堀り”をしなければいけないそうだ。これは法的に決められているのではなく、自主的に行なうのだそうである。何故か?それは、この地が大阪城の城下町として発展した地であり、その遺跡がいまだに多く出土するからだそうだ。事実、某会社のビル建設工事では遺跡(出土品等)が出たため、発掘調査により工事が大幅に遅れて、当初予定の2年ほど後に完成したという話も聞いた。尚且つ、出土した際の発掘調査は、全て工事の当事者が費用を負担しなければいけないらしい。そんな関係もあり、この界隈の大きなビルでは、地下駐車場など地下施設を持つビルが少ないように思われる。(あくまでも私の個人的感想であるが。)それは、兎にも角にも遺跡に絡む工事当事者の防衛策によるものではないかと想像している。(ホントかなぁ。。。)